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発作の止まっているてんかんの子に、プール授業時に色付き帽子を強要するのは差別です。

こんばんは。滋賀県栗東市の「栗東よしおか小児科」院長の吉岡誠一郎です。

 

発作の止まっているてんかんの子に、プール授業時に色付き帽子を強要するのは差別です。

結論から述べさせていただきました。ご批判があることは重々承知してます。ですが、私が迷いなくそう考える根拠を順番に書こうと思います。

まず、差別の定義です。いくつかありますが、過去の差別に関する文献、書籍の多くで、「合理的根拠のない区別」と述べられています。よく差別か区別かみたいな議論がされますが、そもそもレイヤーが違いますね。

今回の事例では、「てんかんの発作が止まっていても抗てんかん薬を続けているということは、てんかんは治癒していないということなので、他児よりも発作で溺れる可能性がある」という根拠で、てんかん児の異変に周囲が気付けるという判断で色付き帽子を義務付けているものと思います。この根拠は専門家から見ると正確ではありません。良性で薬の反応が良いてんかんは薬を続けている間は、発作が起きるリスクは、てんかんなど元々無い子どもが初回の発作を起こすリスクと変わりません(前回のブログ記事参照)。参考までに、成人のてんかん患者でも2年間発作が止まっていれば、薬を内服中でも運転免許取得は可能と法律で決められています。ですから、前述の他児よりもわずかでも発作リスクが高いという根拠は合理性に欠けるものです。合理的根拠のない区別は差別です。

てんかん児の親も、色付きの帽子を被させてもらうことで注意して見てもらえるので安心しているではないかという反論があります。されている側が、それを差別と感じで無ければ差別では無いのでしょうか?かつて世界でも日本でも当然のように女性に参政権が与えられなかった時代に、女性たちはこれは性差別だと感じていたでしょうか?男女はこういうものだ、女性は政治に参加せずに家を守るものだ、男性は外でお金を稼いできて下さる尊敬すべき対象だと何の疑いも持たずに生きていた女性がほとんどではないでしょうか。差別はされる側がどう思っているかは関係ないのです。

良性てんかんの子の多くは幼児〜中学生頃に発症します。彼らには薬さえしっかり飲んでいれば、他の子と何も変わりのない生活が出来ると話をしています。そんな彼らが初めて、経験する差別となり得るのがこの色付きプール帽子強要です。彼らが大人になれば、無理解な大人や社会に抗てんかん薬を飲んでいるというだけで差別を受ける時が少なからずあります。それを、仕方がない、そういうものなんだと、差別されている自覚なく受け入れます。そして自分から、一人暮らしをすることも、友達と海外旅行に行くことも、さらには恋愛や結婚出産にも消極的になることもあります。とても悲しいことです。


それでです。ここまでは、私としてはごく当たり前、これを理解出来ない人がいるというのが信じられないのですが、問題は発作が十分に止まっていないてんかん児はどうするかです。発作が止まっていれば他の子と同じ帽子で良くて、発作の残る子は色付き帽子の強要を許容するしかないのか。そんなこと、正常な良心を持つ人間なら許すはずがありません。もし、これが肢体不自由などの障害を持つ子なら、その子だけに付添い監視する職員があてがわれなければいけません(ここに議論の余地はありません、国際的にインクルーシブ教育を進める義務を課せられている日本においては、どれだけ人件費をかけても他児と可能な限り同様の教育を受けさせる義務が行政にあります)。てんかん発作のリスクがある子も同じように、その子を特に監視するスタッフを確保するべきだと思います。それだけの人件費が無いから色付き帽子にするとか、プール授業は見学させるとか、親に来てもらい見張らせるとか許されるべきではない。百歩譲って親に見張らせるなら、その分の報酬を親に支払うべきです。

何をそんなにプールの帽子ごときに熱くなるのか、こだわるのかと思われるかもしれません。こんなに些細な、やってる側にも差別の意図が無いようなことが、てんかん患者への差別、ひいては社会全体の差別の萌芽になっている気がしてならないのです。